明治43年の創業以来、自由軒は常にお客様へ最上のものをご提供することを考え営業してまいりました。その甲斐あって多くのお客様よりご支援を賜り、2010年には100周年を迎えます。
こちらでは、これまでの自由軒の歩みをご紹介いたします。
大阪では初めての西洋料理店、「自由軒 本店」が大阪 難波にて創業。自由民権運動が起きていた時代背景の中、創業者の吉田四一は新しい風を感じられる「自由」という言葉を店名に冠しました。
創業後は、ビフカツを始めとした西洋料理を、格安のお値段で提供。また、当時人気メニューだったカレーライスを、炊飯器といった設備がない状況下ながら「お客様に熱々のカレーを食べていただきたい」という想いから、ご飯とカレーを混ぜた「名物カレー」を考案。たちまち人気メニューとなりました。
大正時代の自由軒 |
創業者・吉田四一 |
大正時代が終わりを告げ、昭和が始まったこの年、店舗を拡大。店舗が広くなったことで、それまで以上に多くのお客様に足を運んでいただけるようになりました。
この頃から、稀代の小説家・織田作之助が当店へ通い始めるようになりました。後に発表される「夫婦善哉」の構想を練るためです。その際、二代目の店主・吉田四郎はサインと写真をいただき、それは現在でも自由軒本店に飾られています。
昭和2年・従業員記念写真 |
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終結しました。終戦直後の大阪は、至るところが焼け野原の状態。難波も壊滅状態にあり、自由軒 本店も焼失してしまいました。
しかし、二代目の店主・吉田四郎が尽力の末、創業の地・難波に自由軒を再建させました。店舗だけでなく、創業当時の味を復活させ、それが代々引き継がれていくことになるのです。
この年、老朽化していた建物を新しく建て替えました。かといって建物のデザインを明らかに変えるようなことはしませんでした。これまで培ってきた自由軒のイメージを壊したくない、三代目店主・吉田勉はそう考えていたのです。
終戦後再建された本店 |
二代目・吉田四郎 |
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建て替えられた本店 |
三代目・吉田勉 |
この頃から、名物カレーの名が全国に知れ渡ります。マスコミの取材も手伝って、全国から多くのお客様がいらっしゃってくださるようになりました。
都市部への出店の話も多くありましたが、自由軒の味を守るため、それらのお話は全てお断りしました。たとえ全国区の味になったとしても、私達は昔からの味を変えることはありません。
この年、初めての支店を大阪港・天保山マーケットプレースの「なにわ食いしんぼ横丁」に出店。お客様に伝統の味をご提供するため、毎日、難波本店で作られたカレーを運んでいます。
レトルトタイプ「名物カレー5食詰合せ」を発売。自由軒の歴史がつまった名物カレーをご自宅でもお楽しみいただけるようになりました。
天神橋に居酒屋スタイルの「洋食ダイニング自由軒 天神橋」オープン。
堺市のショッピングモール イトーヨーカ堂 アリオ鳳店に出店。
大阪港・天保山 |
四代目・吉田尚弘 |